略歴を探る
1884年(明治17年) |
A.A.ベネットによって「横浜バプテスト新学校」が設立された。関東学院の前進に遡らなくてはならない。 |
1892年(明治25年) |
第1回の卒業式が挙行された。 |
1905年(明治38年) |
専門学校令によって高等科が設立され、1919年(大正8年)第9回を以って廃止される。 |
1910年(明治43年) |
「日本バプテスト新学校」が成立、財団法人「関東学院」設立まで続く。 |
1927年(昭和2年) |
「関東学院」に高等学部社会事業科と商科が誕生。 |
1929年(昭和4年) |
社会事業科が「神学部社会事業部」、商科は「高等商業科」と改称された。 |
1930年(昭和5年) |
{高等商業部}第1回生(13名)卒業。この年から「燦葉会」が結成される。
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戦時、戦後学校令がくるくる変わる
1944年(昭和19年) |
高等商業部は青山学院文学部、商業部と共に明治学院専門学校に統合
され、3年生は高商部16回生(197名)として卒業、1,2年生は明転生
(204名)となった。
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1945年(昭和21年) |
経済専門学校創立、48年には二部設立。 |
1949年(昭和24年) |
大学経済学部創立。 |
1951年(昭和26年) |
経済専門学校一部廃校(230名) |
1952年(昭和27年) |
二部廃校(187名)を以って高等部グループ合計2,012名終結した。 |
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その後大学で経済部、工学部の卒業生が数多くあり、特に工学部では各科毎にOB会を作った。
高等部会の誕生
1978年(昭和53年) |
「燦葉会」新組織改変に伴って「高等部会」誕生。 |
2001年(平成13年) |
部会会員500名を切ったところで大学経済学部部会に併合、現在に至る。 |
主な活動
(1)燦葉会評議員会と法人関東学院理事
全共闘による紛争が起きるまで市内の貸しホール等を使って評議員会が開かれていたが、間隔等は不明。1971年(昭和46年)OBの加藤亮三氏(高等商業部第1回)が学校法人関東学院理事長に、常盤嘉治氏(神学部社会事業部)が同財団理事に就任しともに2期8年、紛争終結とその後の財政立直しに一役買った。
(2)広報
1949年頃迄軽印刷の会報「燦葉会報」を発行していたが、大学新聞に「燦葉会版」を設置するに至って年10回発行の新聞を当時1,600名の会員に郵送した。
1978年(昭和53年)11月高等部会誕生に伴って「高等部だより」を翌年10月に創刊、年2回発行と活躍し、2005年(平成17年)第45号を以って廃刊となった。以後は経済学部部会発行の「けいざい」に随時寄稿している。
(3)三日会
当時の白山源三郎先生を中心に「三日会」が毎月伊勢佐木町博雅や横浜駅東口KY食堂で開催され現在経済学部部会で行われている「出前公開講座」の礎を築いていた。
(4)総会・懇親会
高等部グループとなった今までも、年1回の総会を懇親会と名を変えて初夏の土曜日に関内の「相生」を中心に開いている。30名から25名の健脚者が集まり、旧交を温めている。